どうしてそうなってしまったのか。
何が、どこで、どう……。





『紡がれる想い』 〜第四話:神事<かみごと> 2〜





そこは、一面の荒れ野と化していた。
日没まで行われていた、神楽を舞う桟敷も祀り殿も、それら全てが、半壊状態へと変わり果て、その周りには幾人かの死体が無造作に転がっていた。
「……何があったんだ……! いったい、何が……!?」
焦燥感に駆られながらも、葉王は傍らで呻き声を上げている神人の袷をグイッと持ち上げると、
「お前! いったいここで、何が起こったんだ!?」
噛み付くようにして、相手の状態などは二の次に、そう怒鳴りつけた。
「……あ……あ……。 葉王……さ……ま……。 お……鬼……。 ……鬼が……!!」
その神人は、虚ろな瞳を開けながらも、搾り出すようにしてそれだけ言うと、己の言葉に先程の恐怖でも蘇って来たのか、突然、『ヒィッ!』と小さく叫ぶと、葉王の手を振り払い、傍らへと蹲った。
「……『鬼』、だと……?」
その様を、冷やかな瞳で見やりながら、葉王はそう小さく呟くと、ずっと左手に握りしめていたアヤメの数珠に、視線を這わせた。


それは、ちょうど今朝方に、アヤメの姫巫女の成功を祈って、互いに大切なものを交換し合ったものであった。
だが、しかし。
数珠は今、葉王の手の中で、バラバラになっており、部分部分、細かな皹も入っていた。
「……アヤメ……!!」



――無事でいてくれ!!



ただ願うはそれだけで、葉王は再びぎゅっと、アヤメの数珠を握り締めると、丁寧にそれを懐へとしまった。
そして、今では既に半壊状態となってしまっている祀り殿へと、逸る心を抑えながら、一心不乱に駆け出したのであった。









そして――――時は遡る事、数時間前。
全ての祀りを終えて、アヤメは祀り殿の中心部である、封印の間≠ヨと向おうとした時、だが、ふと感じた異変に、ピタリと足を止めた。
それに、側で付き従っていた神人が、
「どうかしたのか?」
と、眉を顰めながら問うた。
「……何か、とてつもなく嫌な予感がする……。 これは、いったい……?」
「? 何を言っているのだ? 何も嫌な感じなど……」
だが、その言葉も半ばに、彼の顔は、そこに突如として現れたものに引き攣り、次には絶叫を上げていた。


「ひぃ〜!! 来るな! 来るなーーっ!!」
「何をしているの!? 腰なんて抜かしている場合じゃないでしょ!! 早く逃げるのよ!!」
封印を破って、今正にアヤメ達の前に姿を現しているのは、在りし日の武塔天神、或いは牛頭天王。
否――。
「素盞嗚尊……」
腰を抜かして床を這い蹲っている神人に、叱咤を飛ばしながらも、その顕現した姿に、思わず、アヤメは呆然と呟いた。
すると、その声に反応したかのようにして、スサノオがアヤメへと顔を巡らした。
そして、ピタリとアヤメを見据えると、
「……見つけた……ついに……我が花嫁……櫛名田の魂魄を持つ者よ……」
大気を振動させながら紡がれたその声は、正に地の底から湧き上がって来たかの如く不気味なものであった。
「……この声は……。 やはり、あの時の!?」
アヤメに視線を固定させたまま、そこから微動だにしないスサノオに、負けじと睨み返しながらも、アヤメは焦燥感に駆られていた。



――まだ早い!! これでは準備が間に合わない!!



周囲へと素早く視線をやれば、傍らで、未だ腰を抜かし、小さく悲鳴を上げ続けている神人が目に入った。
そして、後ろの方へ気配を飛ばせば、異変に感付いた者達がこちらへと駆けつけて来る気配も。
だが、彼等がここへ到着した所で、到底この目の前に顕現しているものに適うはずも無い事などは明白で。
「……やはり……ここは、私が独りで抑えなくちゃならないって事かしら、ね?」
そっと、懐へと手を忍ばせば、今朝方、己が何時も身に付けている数珠と交換した、葉王の式神がある。
それを使えば、暫しの間はこの現状を防げるかもしれない。
「でも、それでは駄目、なのよ……」
式神を使うと言う事。
それは即ち、式神が敗れれば、その全てが式神の所有者である術者へと及んでしまうと言う事で。
「ま、葉王の場合なら、呪詛返しの呪いくらい、してるとは思うのだけど。 だけど……。
 ……スサノオには、そんな事、恐らく関係無い事だから……」



古の荒ぶる神は、何者にも止められない。
嘗て、高天原を騒がし、神の国を逐放された、まつろわぬ神。
それは、最後まで畿内の中央政権に従わなかった、出雲の部族とも言われ、これは彼等の御霊(みたま)を鎮める為の封印でもあった。
スサノオは全ての、まつろわぬ者等の総称(集合体)。
それは、即ち、この世に存在する、全ての負≠フ依り代で。
だからこそ……。
「……生贄≠ェ、必要なのよ……」
そう、アヤメは自嘲気味にポツリと呟くと、暫しの瞑想の後、きっと視線を上げた。
そして、
「ふんっ。 何が、荒ぶる神≠諱B 何が、我が花嫁=Aよ。いい度胸じゃない!
 いいわよ、私が貴方の相手をしてあげるわ! だけど、そうね。
 ――私の相手は、とても高くつくわよ?」
そう不敵に、何時もの笑みを浮かべると、アヤメはさっとその場から踵を返した。
後ろからは、置き去りにされた神人の悲鳴が聞えるが、そんな事は知った事ではない。
兎にも角にも、まずは己が有利に立てる場≠ヨと相手を導く事が先決であった。









「勝負事と言うのものはね、時と場所と、そして、見極めが肝要なのよ。 地の利を有利に生かす事だって、勝敗の分かれ目になってしまうのだから」
今、葉王に数珠を渡してしまっているアヤメに、武器となるものは何も無い。
常に懐に忍ばせている忍刀も、神楽には邪魔になるだけであったので、あの封印の間≠ノ置いたままになっている。
だから、ただ、己の能力のみがあるだけで。
だがしかし、それをここで使ってしまうには、まだ時が早過ぎる。
体力は、出来るだけ温存しておく方が良い。
「兎に角、あそこへ。 あの場所へ……!!」
アヤメが駆けるその背後から、不気味な唸り声を上げながらスサノオが追って来る。
このまま進めば、目的地へと、もう後少しで辿り着けると、アヤメがそう思い、少しの安堵の吐息を漏らした時――。



――それ≠ヘ起こった。
アヤメの目の前を、鮮血が染め上げる。
そして。
「お前が何を考えているのかは知れぬが、生贄≠ヘ生贄≠轤オく、黙って喰らわれてしまえば良いものを」
侮蔑に満ちた声が、アヤメに投げ付けられたのであった。