重荘で厳かな空気が部屋を満たす。 華美になり過ぎず、程良い具合に飾り立てられたその部屋の中で、緋色に纏められた装束に身を包んだアヤメが、一人中央に鎮座する。 その正面には、今回の主祭神である、牛頭天王を祀った神棚が据えられ、そこには幣帛と注連縄で封印された銅鏡が置かれていた。 そして、中央に鎮座するアヤメを中心に、ぐるりと茅の輪が張り巡らされ、それに派生するようにして逆五芒星の陣が敷かれていた。 万物を統べる、正当な五芒星ではなく、全てを逆しまにしてしまう、禁じての逆五芒星。 それは、北の正位置を逆転させて、丑寅の方角を封じ込める為に用意された結界であった。 『紡がれる想い』 〜第四話:神事<かみごと> 1〜 年に一回行われる儀礼的行事にしては、やけに重々しい印象を受けるその部屋の中で、アヤメは一人、じっと瞑想をしていた。 ……今日一日だけ。 それさえ乗り切れば……。 たったの、一日だけじゃない。 そう、一日だけ……。 大丈夫よ、大丈夫。 あたしには、麻倉に……いえ、葉王に認められただけの力があるのだから……! そう、何度も己に言い聞かせてはいるが、一向に心の奥深くで燻る不安を消す事は出来ず、逆にそれは、徐々に頭を擡げて来る。 だが、そうかと言って、何が一体、そんなにも不安なのか?と問われれば、それはアヤメ自身にもはっきりとは解らず、ただ己の内から正体不明の畏怖の感情が湧き上がって来るだけで。 それが一層、アヤメに不安を抱かせるのであった。 「――アヤメ。 そろそろ出番だ」 それでも祀りは進行し、前儀の楽曲が終わり、本儀が始まり、姫巫女であるアヤメの出番が来た。 「――はい」 アヤメは、すっと瞳を開くと静かに、だが、確かな決意を秘めて、襖の向こうにいる審神者(さにわ)へと返事を返した。 ――シャン、シャン、シャン…… 「其の昔、武塔天(むとうてん)が大君、南海の沙竭竜宮(さがらりゅうぐう)におわしまする第三の娘が頗梨采女(はりさいにょうぬめ)を、御妃に迎えられんと向われた道中に……」 姫巫女の姿をしたアヤメが、五十鈴(いすず)の音に奏でられながら、この祀りの由来譚を詠い出す。 皆、初めこそはアヤメの姿を見て、その髪と瞳の色に驚き、どよめきはしたものの、アヤメが静かな眼差しで、四方を睥睨すれば、そのアヤメが纏う雰囲気に、思わず口を噤み、そして、次には知らず知らずの内に、溜息を吐いていた。 雲一つ無い、清々しく晴れ渡った空の下、夏の頃にしては幾分柔らかな日差しを一身に浴びるアヤメ。 その髪と瞳の色も相まって、まさにその姿は日輪の如き神々しさを纏っていた。 それはまるで、天界から降った天女の如き様相で、いつしかアヤメの美しさに、誰もが心を奪われていた。 「……貧しきも瓢(ひさご)の内に蓄えし、僅かの粟を瓦釜で煮、葉で盛って饗応せしめんと……」 アヤメの涼やかな声が大気を震わし、人々の耳に、心地良く響き渡った。 次に、由来譚を詠み終わったアヤメは、今度は五十鈴をその手に、優美に神楽を舞いだした。 ――シャン、シャン、シャン…… その鈴の音に合わし、雅楽が奏され、両脇に座す審神者達が、神人達が、祝詞を唱す。 厳かで、静謐な時が周囲を包み込み、人々の魂魄を魅了する。 それは、大地へと染み込み、空へと響き渡り、そして――。 祀り殿の結界が、それらに呼応するかの如く小さく揺らいだのであった……。 ・ ・ ・ アヤメが神楽を舞い、姫巫女の務めを果たしている時。 葉王もまた、神泉苑で陰陽師としての仕事を行っていた。 それは、この姫巫女の前祀りが終れば、次は本儀である『夏越の祓え』が遂行される。 その為の準備であり、また、清めの儀式であった。 「あ〜あ。 面倒臭いな〜。 僕も、アヤメの姫巫女姿を拝みたかったな〜」 葉王は、実に嫌そうにそう言うと、扇を口に当て、大きく溜息を吐いて見せた。 「葉王様……」 その様を、小さく周囲の者が諌めはするが、葉王は気にした風も無く、 「ね? もうそろそろいいんじゃないかな? 僕がいなくたって、後はやれるだろう?」 「そ、それは困ります!」 「……何でだい?」 その答えに、顔を顰めて葉王が聞き返せば、 「葉王様には、最後の総仕上げを行って頂けねばなりません。 ですから、もう少し、ご辛抱願えませんでしょうか」 疑問形を取ってはいるが、かなりの重圧を載せて、そう答えて来る陰陽師に、葉王は何度目かの溜息を以って答えて見せた。 ――と、その時。 「ん……?」 「葉王様? 如何なされましたか?」 「……今、何か動かなかったか?」 「……いえ、何も……?」 「私も、何も感じませんでしたが……?」 「そうか。 ……それならばいい」 心配そうにこちらを見やって来る陰陽師達の視線を振り切る様にして、葉王はそう答えた。が、 ――今、確かに、微量ながらも大地が鳴動した……? それは、知覚レベルでは無く、心の琴線に引っ掛かる程度のものであり、葉王だからこそ感じ取る事が出来たものであった。 ――方角は……鳥辺野=c…?――まさか……!? 瞬間、嫌な予感が葉王の脳裏を掠めた。が、 「さ、葉王様。 準備が整いました。 最後の総仕上げをお願いします」 その声に、 「ああ。 解った」 仕方無く、葉王は返事を返し、とっとと仕事を終らせて、愛しいアヤメのもとへと、少しでも早く馳せ参じる為に終えてしまおうと、最後の総仕上げに挑んだ。 嫌な予感を感じはしたが、次に脳裏に浮んだのは、不敵に微笑むアヤメの姿で、その姿を思い浮かべた途端、葉王の不安は何処かへと飛び去り、アヤメならば大丈夫であろうと言う安心感に変わっていた。 ま、密に護衛に付かせた僕の前鬼・後鬼もいる事だし。 それに何よりも、余り心配し過ぎると、アヤメ自身が、『あたしを信じてないの!?』と怒るしね。 己にそう言い聞かせると、葉王は静かに呪いを唱え出したのであった。 |