「……これは、凄いな……」
葉王はそう独りごちると、少々唖然とした面持ちで、塚の周りをぐるりと見渡した。
「あ、ははは……。 ちょ〜とばかし、計算違い、だったかな〜?」
その何処までもお気楽そうな口振りは、こんな時でも未だに健在ではあったが、如何せん、時と場合は考えようであって。
「う〜ん。 どうしたものか……」
そう言うと、彼は『困った、困った』とぼやきながら腕組みをしつつ、この頭の痛くなる現実を、如何様に対処したのもかと考えていた。





『紡がれる想い』 〜第参話:蠢動〜





「さてさて、何から取り組んでみるものやら……」
「……葉王? さっきから何独りで、ぶつぶつ言ってるのよ?」
「ん〜、それがね〜、この塚何だけど……って!わぁっ!? ア、アヤメ??
 ――な、何で君がここに居るんだい?」
「何よ、あたしが居ちゃ悪いって言うの?」
その葉王の言葉に、むっとしたアヤメが言い返すと、
「い、いや。 そうじゃなくて、君の方はもう用事は済んだのかい?? いや〜、考え事してた所に、突然背後から声を掛けられたから吃驚してしまったよ」
と、慌てたように葉王が言い訳をした。
「ふんっ。 ……で? 一体、これを一人でどうするつもりだったのよ?」
「う〜ん、それを今考えた所なんだけどさ。 取り敢えず結界を張って、奴等を追っぱらってしまってってね」
「で? それを全部、まさか、一人でやろうなんて考えてた……何て事は無いわよね?」
そう言うと、アヤメがずいっと葉王に迫った。

「その『まさか』だと言ったら?」
それを余裕の顔で葉王は迎えながら、ニヤリと言い返した。
「あたしも舐められたものね。 ……何の為の……麻倉の嫁≠セと思ってるのよ?」
「おや? アヤメの口から、直々に、嫁♂スて言う言葉が出て来るとは嬉しいな♪」
「ふ、ふんっ! 何時までも嫌とは言ってられないもの」
「……でも、アヤメ?」
「な、何よ?」
「その言葉には一つ、間違いがあるよ」
「?」
「それはね?」
一体何を言われているのか分からないと言う顔のアヤメに、葉王はゆっくりと近付くと、その耳元で低く、
「――君は決して、麻倉の嫁%凾ナはなく、この、僕――葉王の嫁≠セと言う事だよ」
「……!!」
そう呟くと、アヤメの額に軽く口付けを落とした。


「さ、じゃぁ、そろそろ仕事≠ノ取り掛かろうか、アヤメ?」
そう、さっぱりとした、何処か楽しげな口調で葉王が言えば、
「……後で覚えときなさいよ」
悔しそうにアヤメがぼそりと呟いた。
「う〜ん、それは無理な注文かもしれないな〜。 何せほら、僕って物忘れが酷いからね」
アヤメの脅しをさらりと、いつもの調子で葉王は聞き流すと、すっと目線を前方の塚へと戻した。
そして、懐から符を五枚取り出すと、それを指に挟んで呪文を唱え出した。
すると、未だ怒りは収まらないものの、アヤメも葉王に倣い、首から下げていた数珠を掴むと、そこに同じようにして填め込まれている鈴を取り出し、静かに、規則正しく、それを振り出した。それはさながら、巫女が神楽を舞う時の様に。
「……ナウマク・サラバタターギャティビヤク・サラバボッケイビヤク……」



――シャン……シャン……



葉王の呪文に呼応するかのように、周囲の大地が激しく鳴動する。
が、アヤメはそれに一向に動じた気配も無く、ただ、淡々と一定の調子で鈴を振る。



「……臨兵闘者皆陣列前行! 天地開明、霊縛布陣! ――ハッ!!」



葉王は呪を唱え終わると共に、五枚の符を塚の周囲へと投げつけた。
すると、それが合図だったかのようにして、彼らの周りに新たな結界が出現した。
それと同時に、周りに立ち込める、重圧な空気もまた、一層の重さを増す。


「さて、取り敢えず、結界は張り終えた」
彼らの周りを、塚を中心に符を介して五芒星に光が展開しているのを見やりながら、葉王がふっと、額の汗を拭った。
「でも、肝心なのはこれからよ。 塚がこれ以上の影響を受けて目覚めない内にとっと終らせるのよ」
そう言うと、次にアヤメが一歩前へと踏み出し、両手に戴いていた鈴を高く振り翳すと、今度はその音色に合わせて静かな口調で祝詞を唱え始めた。
「一二三四五六七八九十、ふるえゆらゆら、ゆらゆらとふるえ……」



――シャン……シャン……シャン……



鈴が鳴る度に、周囲の気が禍々しく震え、それに伴い、不気味な声が唸りを上げる。



「……掛けまくも畏き伊邪那岐大神筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に御禊祓え給いし時に……」



凛とした口調でアヤメが祝詞を唱える。
だが、周囲に立ち込める陰気は、それに逆らうかの如くに濃さを増し、徐々に苦しみからか、その姿を現しだした。

「おや? どうやら、あちらの方はもう限界らしい」
「……神火清明、神水清明、神風清明。 ――来るわよ、葉王!」
「言われずとも。 ――臨兵闘者皆陣列前行!破邪!!」

九字を切りながら葉王が破魔の呪を唱え、瘴気の渦を撃破する。
その傍らではアヤメが鈴を軽やかに振るい、葉王の援護を行う。



――シャンシャンシャンシャン



アヤメの鈴が脇から湧き出てきた瘴気の塊を破れば、葉王がその背後から向かい来る悪鬼の類を式神によって消滅させる。



「行け!式神よ!!」
「ぎゃっ!!」
「――降魔調伏!!」
「ぐぎゃっ!!」



アヤメが鈴を振るって、其処彼処に潜み、攻撃の機会を窺い隠れていたモノ等を焙り出せば、葉王の式神が宙を駆け、その、新たに現れ出でた鬼等を消し去る。
アヤメも、ただ鈴を振るうだけでなく、時にその腰元から小刀を取り出しては、さながら剣舞を舞うが如くに葉王を援護しつつ、それ等を屠って行く。
右へ左へ、上へ下へと、袴の裾をたなびかせながら、鈴を小刀を巧みに振るうアヤメ。
「アヤメっ! 余り前に出過ぎては駄目だ!!」
「あたしなら、平気よ!」
葉王の制止の声を振り切り、アヤメは自ら進んで、蠢く蟠りの中へとその身を投じた。

「チィッ!!」
それを見た葉王が、舌打ちをすると、
「オン・バサラク・ウン・ハッタッ!! ――アヤメを護れ、式神よっ!!
 急急如律令、燎火壁陣っ!!」
素早く胸元で印を組むと、アヤメを守護すべく防御壁をその周囲に張り巡らせた。
「……葉王……」
己の周囲を囲むようにして展開された炎の壁と、前鬼・後鬼等を見やりながら、アヤメがポツリと、
「……馬鹿ね……」
微笑んだ。









二人の阿吽の如き攻防戦に、あらかた周囲の陰気も片付きだした時、ふいに結果内にも関らず、一陣の強い風が吹いたかと思うと、地の底から這い上がってくるかの如く不気味な声が、何処からとも無く辺りに響き渡った。



「……我……今敗れたりとも……何れまた……見えん……我の願い……何れ……成就させ……り……時は……満ちる……何れ……また……」



そして、それきり、その不気味な気配は綺麗さっぱりと消え去ってしまい、葉王は取り敢えず、燻ったような疑問は残りながらも結界を解くと、
「……アヤメ。 何度も言ってる事だけど。あの……捨て身の戦法だけは止めてくれないか?」
少し怒ったようにして葉王がアヤメにそう言った。
「どうしてよ? そんな事、あたしの勝手でしょう?」
「勝手でも何でも! ……僕が嫌なんだ!」
「……葉王……」
「アヤメが傷付く所なんか、僕は決して見たくなどないからね」
子供のように不貞腐れてそっぽを向く葉王に、アヤメは苦笑しながらも、
「分かったわよ。 ……出来るだけ、善処してみるわ」
「『出来るだけ』では、駄目なんだけど、ね……」
その言葉に、やれやれと言った風に葉王は答えるが、何度言っても、一向に改めようとしないアヤメに、深く溜息を吐いたのであった。
そして、葉王はアヤメにも分からないだろうとは思いながらも念の為、己の疑問を問うてみた。
「……アヤメ……さっきのは、一体何なんだろうね……?」
「あたしに分かる訳、無いでしょう」
すると、案の定アヤメからはにべも無い応えが返って来た。
が、その応えは葉王も予想していたものであったので、彼は別段、その応えに気を留めず、ただ、己の中に蟠った疑問に意識を集中していた。



だからこそ、葉王は気付かなかった。
そう応えたアヤメの表情が、何時にも増して強張り、そして、首から掛けた数珠を千切れるくらいにぎゅっと握り締めていた事を……。