「ひふみよいむなや こともちろらね しきるゆゐつ わぬそをたはくめか うおゑにさりへて のますあせえほれけ」
「ナウマク・サンマンダ・ボダナン・ドバシャナン、アビュダラ・ニサトバダトン・ソワカ、オン・ジ・シリシュロタビジャエイ・ソワカ、……臨兵闘者皆陣列前行!」
「葉王!あそこ!!」
「行け! 式神よっ!!」





『紡がれる想い』 〜第弐話:不穏〜





互いを補佐するようにして唱えられた言霊が、相手を燻り出し、動きを止める。
そして、葉王の式神によって、巷間を騒がしていた鬼魅等が灰燼と化して行く。
陰陽助である彼にとって、本来ならば、このような祓い屋的仕事というものは、陰陽師に任せ、己は宮中に居て、陰陽頭の補助をやっていれば良いのであるが、如何せんその余りにも陰陽の術に抜きん出た才能故か、周囲が託す期待がそれを許さず、未だに現役陰陽師も任されていたのであった。
そして、それを陰ながら補佐するのがアヤメであり、それはまた、麻倉の嫁としての務めでもあった。



――万一、麻倉の当主に何かがあるといかぬ故、嫁はその補佐をし、そして、その身を麻倉の為に犠牲にしろ。



それがアヤメに課せられた命であり、それは代々麻倉の嫁に受け継がれている家訓でもあった。
だが――。
その家訓を知るのは、歴代の麻倉の嫁と、そして、当主に次ぐ――或いは同等かそれ以上の、その代によってその地位は異なるが――地位に列挙される長老達のみ。
葉王等歴代の当主は知らない。
何故なら、それは秘め事として口伝となって、彼女達に伝えられて来た事であるから。
それでも歴代の嫁候補には周囲の者は優しく、それなりに力を貸してくれていた。
だが、今、アヤメには……。


葉王はじっとその様を見つめながら、この所ずっと疑問に思っていた事を口にした。
「ねぇ、アヤメ? 最近、とみにこう言った輩が多くなったような気はしないかい?」
「そんな事、別に今に始まった事ではないでしょう」
だが、それに応えるアヤメの口調はにべも無く、それに苦笑しながら尚も葉王は己の疑問を口にした。
「そう、なんだけどさ……だけど……どうも、こう……何て言うのかな?引っ掛かってしょうがないんだよね」
「……どうせ、先日またあった飢饉のせいじゃないの? おかげで鳥辺野一帯は、それはもう賑やかで、五月蝿い位よ」
「ははは。 それはそれはご愁傷様。
 僕よりも感覚の鋭い君の事だ……かなりきつい事だろうね」
そう言いながらも、どこか楽しげに応える葉王。
「……ったく、こっちはいつにも増して、嫌な思いをしなければならないって言うのに」
「う〜ん、アヤメが大変なのは分かってるし、早くそのアヤメを苦しめている元凶を断ち切ってあげたいとは思うよ。 けど、さ」
「『けど』何よ……?」
「だけど、そうなるとまたアヤメは独りに戻ってしまうだろ? 今ならこうして、二人で居れ て、僕が君を支えてあげると言う名誉を授かっていられるけど、だけど、君が立ち直ってしまったら、君はまた、独りで居ようとするだろ?」
そう言うと、後ろからふわりと葉王はアヤメを抱き締めた。

「君は確かに強い。 だけど、時には僕も頼って欲しいな」
そう葉王がアヤメの耳元で、優しく囁けば、
「な、何、よ……」
ほんのりと頬を朱に染めたアヤメが、ふいとそっぽを向く。
その反応に、
「……アヤメ? 君はもう、独りじゃないんだから、君には僕と言う頼もしい存在が居るんだから。だから……あんまり強がらないで」
「な……!? ば、馬鹿な事言わないでよ! 誰が、いつ!強がってなんか……!」
「ほら。 そう言う所が……ね?」
アヤメが顔を上げると、意地悪そうに笑う葉王の視線と絡まり、瞬間唇を塞がれた。
「い、いい加減、放しなさいよね!」
『そう言う事は、自分で言うものではないしょう!』と、照れを隠す為か、怒った様にしてアヤメは言って見せるが、顔を真っ赤にしながら言っている台詞な為か、全然迫力等は.無くて。
「ふふふ、アヤメ、可愛いねv」
「〜〜〜〜!!!!!」



何事も、己の思っている事を直ぐ口に出して言ってしまうのが、葉王の癖であったが、それに未だに慣れないアヤメは、これでもかと言う位に赤くなってしまい、その腕から逃れると、さっさと独り先へと行ってしまった。
その様子を、後ろから余裕の歩幅で追い駆けながら、葉王は一人、幸せそうに笑って見つめていたのであった。









真っ赤に焼けた夕陽を前に、今アヤメは独り、都の鎮魂の地である鳥辺野へと来ていた。
供は付けず、たった独りで。
「……一体、何人が死んだのかしらね……」
ざっと、周囲を見渡せど、累々と放置されるがままに荒野へと野晒しにされた、様々な過程の屍が目に入るのみ。
そこへ死肉をつつきにと烏が群れ来たり、点々と黒い塊を作っている。
何とも言えない、独特の腐臭が立ち込め、カラカラと、風が荒野を凪ぐ度に、野晒しにされた髑髏達が乾いた音を立てた。
その風に混じり、時折生暖かい風が混じるのは、果たして気のせいではないであろう。
その禍々しい氣≠感じ取り、無意識の内に、アヤメは首から下げた数珠をぎゅっと強く握り締めた。
「――大、丈夫……大丈夫……何とかやれるわ……」
ぽつりと小さくそう呟くと、きっと顔を上げ、何事かを決意したかのような視線で以って、茜色に暮れ行く空を睨んで見せた。
その態度には、先程、一瞬だけ見せた怯えなどは微塵も無く、毅然とした面持ちには不敵な笑みさえ見受けられた。
「――私は、大丈夫」
きっぱりと、宣言するかのようにしてアヤメは呟くと、今度は夕陽に背を向け、この葬送の地を後にしたのであった。



そうして、アヤメが鳥辺野の地に独りで居る頃。
葉王もまた独りで、都の禊の地である神泉苑へとやって来ていた。
「あの時アヤメは、飢饉のせいだと言っていたけど、だけど……この所の騒ぎがそれだけのせいとは、僕にはどうも思えない。 それに……どうも最近、周りの者が僕に対して、何か≠隠そうとしているように思えてならない」
じっと、風に凪がれては小さく揺れ動く水面を眺めながら、彼は己の疑問を反芻した。
別に、水占
(みずうら)をしにこの地へとやって来たのではなく、最近の都に蟠る陰気の元を探ろうとしてだったのだが、ゆらゆらと揺れる水面を眺めているうちに、様々な考えが現れては消え行った。
「――先日の、あの鬼魅等にしても、そうだ。 あれらがこの都にいる事自体はおかしく 等は無い。 だが――、何故あれらが今頃になって、岩倉付近に湧き出したんだ?それも、四箇所ともに……。
 ――これは、何かの暗示なのか……?」



最近の都に流れる氣≠フ流れはおかしい。
所々に蟠りをみせては、その陰で何者かが、着々と現出する機会を窺っているような気がしてならない。
――ならば、その原因とは何か……?



「……ま、ここで考えていても一向に埒などは明かないようだし、取り敢えず、行動に移ってみるとしようかな」
そう言うと、葉王は深く一つ深呼吸をした後、胸の前で印を結び、じっと、瞑想するかのようにして、周囲の氣≠探った。
そして、
「……まずは、将軍塚にでも行ってみるとしようかな」
それは、何時もと変わぬ口振りではあったが、だが、静かに開けられたその瞳には、厳しい光が湛えられ、じっと、まだ見ぬ何者≠ゥを見極めんとするかの如く、前方を彼は睨んでいた。