星が降る。星が降る。
真黒な空に、黄色い光が其処彼処に点在してる。
思わずあたしは、まるで星を初めて見る幼子のように、それを受け止めようと両腕を広げて天を仰いだ。
「……何をしているのだ?」
そんなあたしを見て、『あいつ』が訝しげな声を上げる。
あたしはその声にくるりと後ろを振り返りながら、
「見ての通り。星を取ろうとしたの」
自分で言ってて実に変な事を言ってるなとは思ったけど、でもここは余りにも星が、天
(そら)が、近く感じられて、そう答えずにはいられなかった。
すると、『あいつ』は案の定。
「何を……可笑しな事を言っているのだ?」
そう言いながら、いつものようにあたしの額を軽く小突いた。何度も何度もされていると言うのに、別にこれが初めてでは無いと言うのに、何度小突かれてもあたしは避ける事が出来なくて。
今回もまた、不意打ちを喰らって、頭を後ろへと仰け反らせてしまった。
「もうっ!あんたはいつもいつも……!!」
それにあたしが抗議の声を上げると、『あいつ』はそ知らぬ顔して、
「ははは!相変わらず鈍いなァ」
またもコツンと、あたしの額を指で弾いた。



「《    》っ!!」



あたしが、『あいつ』の名を頬を膨らませ大声で呼ばう。



「どうした、『   』よ?そのような大声を出して?」



すると、『あいつ』がいつもの笑みを浮かべて、楽しそうに、可笑しそうにあたしの顔を空中から覗き込んで来る。
だけど、でも。
さっきまではっきりと見えていたはずの、『あいつ』の顔が、今では霞んであたしには見えない。
さっきまでちゃんと呼んでいた筈の、『あいつ』の名前が、今では霞んであたしには思い出せない。
どうして!?何で……っ!?
『あいつ』が、あたしの『名前』を、優しく呼ぶ声が確かに聴こえる。
だけど、それはぼんやりと朧げで。あたしの耳へと届く前に、宙へ拡散して消えてしまう。
『あいつ』の名前を、あたしが確かに呼んでいる。なのにそれは、水中の中の会話のように不明瞭で、何を言っているのか聴き取れない。



「《    》っ!!」



声を限りに叫んでみる。
『あいつ』は、こんなにも近くに居るのに!
『あいつ』は、こんなにも、触れる程に近い所に居ると言うのに!!



――どうしてあたしの耳には届いて来ないの?
――どうしてあたしの目には届いて来ないの?



優しい空気があたしをふわりと抱き締める。
それは、とてもとても泣きたくなる程に優しく温かで。
気付けばあたしは泣いていた。
そう、これは……夢。
あたしが失ってしまった、大切な大切な記憶。
どうしてあたしは忘れてしまったんだろう?
どうして、あたしは……何も、思い出せないんだろう?
『あたし』は誰?
『あたし』はどうしてここに居るの?
『あたし』はいったい、何者なの!?
何一つ思い出せない代わりに、次々と疑問は生まれて来る。
解らない。解らない。何一つ、思い出せない。



『あたし』は夢の中で絶叫する。
全てのものへと。この世界の全てへと。
声が嗄れる限り。意識が途絶えるまで。
声を上げ、叫び続け。この想いの全てを、『あいつ』へと届ける為に。
『あたし』はずっと、想いを紡ぎ、叫び続けた。





迷宮廻廊





「……ミーナ!ミーナ……っ!!」
突然、外界からの声であたしは意識を覚醒させられた。
目を開けると、珍しく心配そうなカインの顔が見えた。
「……カイン……」
あたしはまだどこか霞んでいる頭のまま、上体を起すと、ぼーっとカインの顔を見つめた。
「大丈夫かい?酷く、魘されていたみたいだけど……」
「……魘されて……?」
そうなんだろうか?あたしには全然自覚は無かったけど、カインの顔を見るとそうだったんだろう。でも、全然、今まで何の夢を見てたのか、自分では覚えてないや。
「うん……もう、大丈夫」
「そう……。ならいいんだけど」
あたしの応えにカインがいつもの笑みを浮かべると、
「さぁ、そろそろ起きて。食事にしよう」
そう言って、カーテンを開けた。
瞬間、外の眩しい光と、青い空が視界に飛び込んで来た。
「……まぶし……」
「ははは。ミーナが寝坊してる間に、昼は過ぎちゃったからね」
「……誰のせいだと思ってるのよ……」
「おや?これは僕が悪かったのかな?」
あたしの呟きに、カインはくすくすと笑いながら応えると、
「なら、僕はキャロラインと待っているから」
パタンとドアを閉めて、出て行った。



カインが部屋の外へと出て行った後、あたしはシーツを身体に巻き付けて、のろのろとベッドから這い出した。
脱ぎ散らされた衣服を拾い集め、傍のイスに無造作に引っ掛けてあったガウンを羽織る。そして、チラリとベッドへと視線をやると、あたしは一つ溜息を吐いた。
「……乱れてる……」
もう、何度呟いた言葉か解らない。
でも、いつも、そう。いつもカインとの行為を思い出しては、呟かずにはおれない自分がいて。あたしはそっと、皮製の小さな鞄を開けると、じっとその中のカードを見つめた。
夜毎、繰り返されるカインとの行為。それは深夜を越えて、朝まで続き。果ては一日中ベッドの中と言う時だってある始末。
「……どうして、何だろう……」
何かが違うと思いながらも、ずるずるとここまで来てしまった。
「……あんたは何も、応えてくれないんだね……」
こんなタロットカードに話し掛けたって、意味が無い事などは百も承知である。だけど、そのカードを見ていると、捉え難い想いが湧き上がって来て、失った記憶が何かを叫んでいる気がして、いつもいつも見つめずにはおれない。カードに描かれているのは、澄み切った空に似た、青い蒼いマントの金髪美形。
「あたしは確かに、あんたを知っている」
それは藁をも縋る想いがそう思わせているのか判別はし難いが、それでも確かに魂の奥底が何かを訴える。
あたしはぎゅっとそれを胸へと抱くと、青い蒼い空を見上げた。









「……《    》……」



無意識の内に呟いた名前は易く零れ落ち。
彼女が気付いた時には霞みとなって消え失せた。



「……『   』……」



そして。
彼女が出て行った部屋の片隅で、小さく呼ばれたその名前も。思念へと形作られる前に霧散して、後には何も残るものは無かった。
ただ、午後特有の眩しい光が一条。雲一つ無く晴れ渡った青空からその部屋へと届けられていた。




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