「……なぁ、恋次?」 「何だ?」 「……乙姫様は、如何して、浦島太郎に玉手箱を渡したんだろうな……?」 「はぁ……!?またお前は急に、何を言って……?」 前振りも無く急に、突拍子も無い事を言い出すのはルキアのいつもの癖であり、いい加減、その癖に恋次も慣れて来てはいたのだが、今回の質問はまたえらく、訳の解らない問いであった。 離れていても 「……今度は何なんだよ?いったい??」 「『何だ』とは何だ! 貴様……もしや、『浦島太郎』を知らぬな!?」 「いや、知ってはいるけどよ。 あれだろ?亀を助けて、恩返しされて、竜宮城へ行って……てヤツ」 「ああ」 「けど、それがいったい、どうしたんだよ??」 「いやな。 あれを読んだ後はいつも思うのだよ。 ……如何して乙姫様は、浦島太郎に玉手箱を手渡したんだろう?と。 だって、乙姫様は、浦島太郎の事が好きだったのだろう?なのに……いや、ならば尚更、如何してそんな老人になってしまうような玉手箱をあげたんろう?お爺さんになってしまったら、もう一度、浦島太郎が竜宮城へと……乙姫様の元へと帰ろうとしても、帰れぬではないか!」 何で、よりによって『浦島太郎』なんだよ!?とか、今更、『浦島太郎』〜!?等と、心の中で密かに思わずにはおれなかったが。 「……ひょっとしたら、乙姫は浦島太郎を恨んでたんじゃねえのか?」 ルキアだから仕方が無いと、この、いつまでも子供心の抜け切れない幼馴染みの真剣な疑問に――傍から聴いていれば、恐らくは滑稽でしかないであろうが――だが恋次は莫迦にした様子などは無く、きちんと耳を傾けた。 「『恨んでいた』……?」 「ああ。 だって、そうだろ? 楽しむだけ楽しんで、なのに急に現実が恋しくなって、乙姫を捨てて逃げた男だろ?なら自分を捨てた男を乙姫が恨んでたって、何もおかしくはねえんじゃねえか?」 そんな見も蓋も無い解釈をされてしまっては、お伽話もあったものではない。ルキアはそのとんでもない恋次の解釈に、唖然とし、己が読んだ『浦島太郎』の話を、思わず反芻してしまった。 「む〜……確かに、そのような解釈の仕方も出来ないではないが……だが、それでは身も蓋も無いのではないか?」 確かに、恋次の言う事は、道理に適っている。浦島太郎は乙姫様と幸せな時を過ごしていたにも関らず、最後は現世(うつしよ)へと還って行ってしまった。本当に乙姫様の事が好きであったのならば、そんな事はしなかったのではないであろうか? 「良いんだよ。んなもん。どう解釈しようが、それは個人の勝手なんだしよ」 「……ならば、乙姫様は、浦島太郎を恨んで手渡したのか……?」 「そうなんじゃねえのか?よくも私を捨てたわね!?てな具合によ」 「だが……」 「何だよ?」 ルキアは何事かを言い掛けると、暫し己の考えに埋没した。 恋次の言う事は、見も蓋も無い解釈であるが、それでもそれは間違ってはいないだろう。 指摘されてみれば、確かに自分自身でもそう思う。突然己を捨てて還っていった男。 浦島太郎は自由の身なれど、海に縛られた乙姫様は、陸地へと、愛しい浦島太郎の元へと、自分から行く事は出来ない。 もう一度戻って来る事などきっと無いであろう浦島太郎に、餞別にと玉手箱を手渡す乙姫様……。 だけど、でも……。 「それでも、乙姫様は浦島太郎の事を、愛していたのでは……ないのであろうか……?」 「……はぁ……?」 「だって……だってだぞ!?浦島太郎が玉手箱を開けるとは限らないではないか!なのに、乙姫様は玉手箱を手渡したのだろう?」 「あ、ああ」 「ならば……きっと、乙姫様は浦島太郎の事を、それでも愛していたのだろうな……」 「……ルキア……」 そう、ポツリと呟くように言ったルキアの横顔は、何故かとても哀しそうで、思わず恋次はルキアを抱き締めたくなった。 「……どうしてお前は、そう思うんだ?」 身体は正直に、想うままに伸びてしまった腕を、それとなく下へと下ろしながら、恋次はルキアへとそう問い掛けた。 「……何となく……何となくなのだが……解るような気がするのだよ、その気持ちが……」 くすりと小さく笑みを零しながら振り向いたルキアを、今度は己の感情のまま、恋次は正直に腕の中へと閉じ込めると、そっとその耳元へ囁き掛けた。 「……ルキア……。 お前が何を心配しているのかは解らねえが、俺は絶対にお前を置いて、何処へも行ったりなんかしない。 だから――大丈夫だ」 「恋次……」 ぎゅっと恋次の袖口を握り締めながら、ルキアはその暖かで力強い温もりに、そっと頬を寄せた。 「きっと……乙姫は離れている事に自信が持てなくて、だからそんな賭けに出たんだろうよ。だけど。 ――だけど、俺には自信がある。例え、離れ離れになったとしても、ぜってーお前を忘れなんてしなねえし、必ず最後には会いに戻るっていう自信がな。 だから、余計な心配なんかすんな!」 ぎゅっと、幼子の様にしがみ付いて来るルキアの背を、ぽんぽんと優しく撫ぜながら、恋次は更に言葉を重ねた。 「だから、俺を信じろ、ルキア。 俺の還る場所はもう……お前の所しかねえんだしな!」 「恋次……ああ、信じているさ。 例え離れていようとも、私だったらお前に空の玉手箱を渡すさ。何も入ってはいない、空っぽの玉手箱をな……」 ・ ・ ・ 憎しみと、愛情の瀬戸際で玉手箱に賭けた乙姫様は、二度とは逢えなえないと言う結末を選ぶ羽目になってしまった。だが、私達は違う。 例え離れていても、必ず逢えると言う選択をしたい。 離れていても、互いに信じ合えていれば、それで十分ではないであろうか? ふとした瞬間に感じる存在感。それは、傍に居なくとも、必ず感じ合えるはずだから。 それは、他でも無い、恋次なのだから。 だから……だから私は、空っぽの玉手箱を恋次に託す。 ・ ・ ・ 「おらよ、いつまでも、んな縁起の悪い事なんか言ってないで、とっとと帰るぞ!」 「む……?あ、ああ……」 いつまでもこうしてルキアを腕の中に閉じ込めていたいが、そうも言ってはいられない。 正直な身体は中々言う事を効かず、恋次は必死の想いでルキアを解放すると、くるりとルキアに背を向け、先に歩き出そうとした。 だが……。 「今日だけ……今日だけは、偶にはいいではないか!」 何となく、そんな気分なのだよ、と先に歩き掛けた恋次の手を、ルキアはきゅっと握ると、にっこりと嬉しそうに笑って、隣に並んだ。 その笑顔が本当に嬉しそうだったから、恋次は何も言えず、ただルキアから顔を背ける事しか出来なかった。 だが、嫌ではないと言う意思表示に、恋次もその自分よりふた回り程も小さい手をぎゅっと握り返したのであった。 ・ ・ ・ 例え、離れていても、ずっと心は同じ場所にある。 それが二人だから。 だから。 だから――大丈夫。 夕陽が二人の背を茜色に染め上げ、暮色が辺りを包み込んだ。だが、それも束の間。その直ぐ背後には、昏い、昏い闇が、徐々に周囲を浸食しながら迫っていた。 |
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